【ポーランド旅行記】アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所を中谷さんの日本語ガイドで見学してきた

スポンサーリンク

いつかは見学すべきだと思っていた、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所に行ってきました。

中学生の頃、地元で開催されたアウシュヴィッツ展に行き、人毛で作った毛布や人の脂で作った石けん等の実物を見ていたので、現地に行ってのそこまでのショックはなかったものの、学ぶことは非常に多かったです。

私には、親族をアウシュヴィッツで亡くした、というユダヤ人の友人がいます。一方で、ヨルダン川西岸地区に住む、パレスチナ人の友人もいます。

いろいろと考えさせられました。

まず予約

日本語ガイドの中谷さんにガイドをして頂く場合は、直接メールになります。

中谷さんのメールアドレスは、tnakatani1966(at)icloud.comです。

希望の日にちの候補をいくつか提示して、その間にガイドの予定がないか、確認して頂きました。メールをしたのは2ヶ月半位前です。

幸運にも、滞在予定の日とガイドの日が重なったので、そのまま予約をお願いしました。

金額は、当日の参加者の頭数で割るそうで、この時点ではまだわかりませんでしたが、直前に確認のメールをしたところ、60PLNまたは15ユーロとのことでした。※私はユーロで払いました。

クラクフからアウシュヴィッツへの行き方

クラクフからアウシュヴィッツへは、バスでアクセス出来ます。

クラクフのバスターミナルからバスが出ています。

クラクフのバスターミナル

インフォメーションの窓口で聞いたら、バスは20分置きに出発しているそうで、予約は要らないとのこと。

集合の30分前には着くように、早めのバスに乗りました。

クラクフのバスターミナル、アウシュヴィッツ行きのミニバス

バスは2種類あるようで、私が乗ったこちらのミニバスは12PLN(約360円)。大型バスの場合は14PLNのもよう?(帰りは大型バスだった)

アウシュヴィッツ行きのバスのチケットこのミニバスには、お手洗いなどはありませんのでご注意下さい。

1時間半ほどで到着。バスはアウシュヴィッツ・ミュージアム前ではなく、徒歩2分くらい離れたところで止まりました。

ミニバスのアウシュヴィッツ降車場所

終点ではないようでしたが、運転手さんが「アウシュヴィッツ!」と大きな声で叫んでくれるので、乗り過ごすことはありませんでしたよ。

他にもたくさん降車している人がいました。

この門を通って、ミュージアムのほうへ行きます。歩いて2~3分です。

ミニバス降車場所からアウシュヴィッツ前までの道

ミュージアム前に集合

午後1時半前にはミュージアム前に到着しました。

アウシュヴィッツ・ミュージアム外観

座れる場所もなくはないので、座って待ったり、売店を見てみたり、トイレ(有料、2PLN=約60円)に寄っておいたりして待ちました。

アウシュヴィッツ・ミュージアムの売店

午後2時になり、中谷さんがお見えになって出発です。特に点呼などはありませんでした。

大きなリュックなどは持って入れませんので、その場合は有料(4PLN=約120円)の荷物管理場所に預けることになります。

アウシュヴィッツ強制収容所

最初はアウシュヴィッツ強制収容所の見学です。

写真は自由に撮ることが出来ますが、唯一ご遺体の人毛から作られた毛布などは、被害者のご家族への配慮もあり撮影が禁止されています。

早速入り口に、かの有名な「ALBEIT MACHT FREI」(働けば自由になる)の門が。

アウシュヴィッツの入り口「Albeit Macht Frei」

ごく普通のレンガ造りの建物のようにも見えますが、ここで惨劇が起こっていたのですね・・・。

アウシュヴィッツの建物

いくつかある収容所の建物の中を見学させて頂きます。

アウシュヴィッツの建物

ヨーロッパ中からユダヤ人が集められてきましたが、ナチに抵抗したポーランド人も収容されていたそうです。

アウシュヴィッツ・ヨーロッパから来た人の地図

ガス室の模型。この後、本物を目にすることが出来ます。

アウシュヴィッツ・ガス室の模型

大量虐殺のため、農薬であったチクロンBが使われました。

アウシュヴィッツ・大量のチクロンBの空き缶

アウシュヴィッツに連れてこられた人々は、必要と思われた食器なども自宅から持ってきましたが、全ては没収され、それらが使われることはなかったそうです。

アウシュヴィッツ・囚人の食器類

収容者たちが持ってきた、大量の鞄の山。

アウシュヴィッツ・囚人の鞄の山

所有がわかるように、出身地と名前が書かれています。二度と彼らの元に戻ることはありませんでしたが。

たくさんの荷物を持ってくることが出来なかったため、持っている靴の中で一番いいものを履いてくる人たちも多かったそうです。

アウシュヴィッツ・囚人たちの履いてきた靴

また別の建物に移動しました。

アウシュヴィッツの建物

囚人用の服は、逃げても目立つようなストライプが施され、ユダヤ人・同性愛者・政治犯などの判別用のエンブレムがつけられました。

アウシュヴィッツ・囚人服

人体実験も多く行われていたそうです。皮肉にも、人体実験のお陰で解放時まで生き延びることが出来た少年少女もいたとか。

アウシュヴィッツ・人体実験の少年少女の写真

別の建物では、囚人部屋の様子も見学することが出来ました。

アウシュヴィッツ・囚人部屋

その建物を出ると、銃での処刑場に出ました。亡くなった方々のご冥福を祈らずにはいられませんでした。

アウシュヴィッツ・銃処刑場

女性と男性の収容所を分ける鉄条網を抜けて進んで行きます。監視塔も見えます。

アウシュヴィッツ・鉄条網

今度は絞首刑場がありました。

アウシュヴィッツ・絞首刑場

ここはドイツ秘密警察のゲシュタポがあった場所で、脱出や扇動を企てる収容者が拷問を受けたそうです。戦後、ナチス親衛隊(SS)のルドルフ・ヘス将校がここで絞首刑に処せられた、と説明文にあります。

その先には、実際に使われたガス室がありました。

アウシュヴィッツ・ガス室入り口

アウシュヴィッツに到着して、使う価値がないと「選別」された収容者たちは、ここで「シャワーを浴びる」とだまされて中に入り、皆ガスで殺されました。

アウシュヴィッツ・ガス室の中

遺体はすぐに処理できるよう、火葬場が併設されていました。

アウシュヴィッツ・ガス室隣の火葬場

殆どの見学者たちは無言でした。

この後は、入り口に向かって歩いて行きました。

ガイドの中谷さんからは、現在トランプ大統領をはじめとしたナショナリズムへの不安が、当時のナチズムと重なる、日本はどういった役割を担っていくか、など、多くの問題提起がありました。

アウシュヴィッツ・出口

日本でもLGBTへの理解などは進んでいますが、一方でヘイトスピーチなどもあったり、世界だけでなく日本でも、寛容性が問われる時代になっていますね。

ビルケナウ強制収容所

15分程度の休憩の後、今度はビルケナウ強制収容所に移動します。

無料バスが行き来しており、皆で乗り込みます。

ビルケナウまでの接続バス

尚、クラカウ行きのバスも同じ場所から出ます。

5分程度で、ビルケナウに到着。

「死の門」と言われる、鉄道引き込み線。

ビルケナウの死の門

収容者を乗せた列車には、多くのユダヤ人が追悼の意を込めて小石を置いていくそうです。

ビルケナウにある列車

アウシュヴィッツとは違い、木製のバラックが多いですね。

ビルケナウの収容バラック

ガス室跡。ドイツ軍は敗戦の機運を感じると、発見されると最もまずい(裁判等で不利になる)施設から破壊していったそうです。

ビルケナウのガス室破壊跡

このビルケナウ収容所には、オランダで拘束されたアンネ・フランク一家も収容されていました。

ビルケナウのバラック

穴が開けられただけのトイレなども、外から覗くことが出来ました。劣悪な環境、と言葉で言うのは簡単ですが、想像が及びません。

ビルケナウ収容所のベッド

ビルケナウでは外での見学が主になるため、折りたたみ傘があると安心です。実際、私が行ったときは途中何回か通り雨が降りました。

解散&クラクフへ戻る

これにて見学は終了。それぞれ中谷さんにお支払いをして、解散です。

中谷さんが見学料を立て替えてくれているそうで、今回は一人60PLNまたは15ユーロで、現金のみの支払いになります。

午後2時に始まり、休憩を挟んで、ビルケナウからアウシュヴィッツへの接続バスに乗ったのは4時半でした。

ビルケナウからアウシュヴィッツへの接続バス

帰りのクラクフ行きのバスは、アウシュヴィッツービルケナウの接続バスと同じ場所から出ています。

預け荷物を取りにいってから、バスに乗ってクラクフに戻りました。

アウシュヴィッツからクラクフ行きのバス

行きは小さなバンで12PLN(約360円)でしたが、帰りのこの大型バスは14PLN(約420円)でしたよ。

バスは現金のみです。現金が必要な場合はミュージアムショップにATMがあります。

アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の感想まとめ

日本語のガイドで回れたのは、非常に幸運でした。

英語でももちろん悪くはないと思いますが、日本人の視点、日本の歴史と絡めての解説など、外国語ガイドでは得られない理解がたくさんあります。

見学の最後に中谷さんに伺ったところ、アラブの人は殆どお見えにならないそうです。

先述のとおり私にはパレスチナ人の友人がいますが、このアウシュヴィッツでのユダヤ人の迫害が今のパレスチナでのパレスチナ人の迫害に繋がっていると思うと、複雑な気持ちになりました。人を人として扱わない差別が、今も続いているのかと。

ユダヤ人の歴史については、例えばワルシャワの「ポーランドのユダヤ人博物館」で学ぶことが出来ます。

その博物館に行くまでは殆ど知らなかったのですが、ユダヤ人はパレスチナから追い出された古代から、行く先々で住人たちに疎まれ、日陰のような存在として各地で生きながらえてきたそうです。

それを思うと、「エルサレムに帰って自分たちが安心して暮らせる国を」という気持ちも理解できるのですが、一方で(戦争で勝ったという大義名分を掲げて)今までそこに住んでいたアラブ人を追いやり、テロ防止という名目で壁まで作って閉じ込めています。

どうしたらパレスチナ問題が解決するのか、解決するときが来るのか。パレスチナにも、アウシュヴィッツのように、いずれ「パレスチナ博物館」みたいな見学施設が出来る日が来るのか。

地球人の一人として、色々と考えさせられた機会になりました。